2006年07月14日

靖国神社「みたままつり」にて

靖国神社で今年も「みたままつり」が始まりました。「みたままつり」が始まると暑い夏が来ることが実感できます。

「みたままつり」が終わると一月もしないうちに8月15日がやってきます。きっと今年も東アジアの三カ国からはいろいろ言われるんでしょう。

ここで一つ確認しておきたいことは8月15日は「終戦記念日」ではないということです。8月15日はあくまでも「停戦」が実行された日であり、日本と連合国はサンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日に戦争状態が終結したのだと言うことです。

従って、本日のお題である所謂「東京裁判」は戦争状態が継続しているときに戦勝者によって一方的に裁かれたものだということを銘記しておきたいと思います。
最近帚木蓬生氏の「逃亡」を読みました。
主人公である憲兵は香港と広東で憲兵として職務を遂行しますが、敗戦によって「戦犯」として指名手配を受けます。ストーリーは命からがら日本にたどり着いた主人公が、息つく間もなく日本の警察に「戦犯」として追われ、かつての戦友と逃亡するというストーリーです。

物語の前半では彼の憲兵としての職務がどのようなものであったのかが追想の形で記述されています。

香港を出港していく日本の船舶が、香港に潜伏しているスパイの情報によって撃沈されることを防ぐために必死の捜査によってスパイの大元であるイギリス人にたどりつき彼を逮捕します。

そのイギリス人の尋問中にイギリス人が命を落としてしまい、このことが「戦犯」として訴追される容疑となっています。

しかし、このことを以て彼を戦犯として追及できるのでしょうか?彼がスパイ組織を摘発しなければ船舶の出港の度に何千人もの人命が失われるのです。諜報戦という銃を使わない行為でも明らかな敵対行動であることには間違いありません。

物語のイギリス人は軍人ではなく民間人です。それであっても彼の情報によって多くの命が失われているわけですから、「民間人の虐殺」には該当しないと思います。

そもそもハーグ陸戦協定では以下のように定められています。

第一章
第一條 戰争ノ法規及權利義務ハ、單ニ之ヲ軍ニ適用スルノミナラス、左ノ條件ヲ具備スル民兵及義勇兵團ニモ亦之ヲ適用ス。

(1)部下ノ爲ニ責任ヲ負フ者其ノ頭ニ在ルコト
(2)遠方ヨリ認識シ得ヘキ固著ノ特殊徽章ヲ有スルコト
(3)公然兵器ヲ携帯スルコト
(4)其ノ動作ニ付戰争ノ法規慣例ヲ遵守スルコト

民兵又ハ義勇兵團ヲ以テ軍ノ全部又ハ一部ヲ組織スル國ニ在テハ、之ヲ軍ノ名称中ニ包含ス。

第二條 占領セラレサル地方ノ人民ニシテ、敵ノ接近スルニ當リ、第一條ニ依リテ編成ヲ爲スノ遑ナク、侵入軍隊ニ抗敵スル爲自ラ兵器ヲ操ル者カ公然兵器ヲ携帯シ、且戰争ノ法規慣例ヲ遵守スルトキハ、之ヲ交戰者ト認ム。

第三條 交戰當事者ノ兵力ハ、戰闘員及非戰闘員ヲ以テ之ヲ編成スルコトヲ得。敵ニ捕ハレタル場合ニ於テハ、二者均シク俘虜ノ取扱ヲ受クルノ權利ヲ有ス。

第二章
第四條 俘虜ハ、敵ノ政府ノ權内ニ屬シ、之ヲ捕ヘタル個人又ハ部隊ノ權内ニ屬スルコトナシ。

俘虜ハ、人道ヲ以テ取扱ハルヘシ。

俘虜ノ一身ニ屬スルモノハ、兵器、馬匹及軍用書類ヲ除クノ外、依然其ノ所有タルヘシ。

第五條 俘虜ハ、一定ノ地域外ニ出テサル義務ヲ負ハシメテ之ヲ都市、城寨、陣營其ノ他ノ場所ニ留置スルコトヲ得。但シ、已ムヲ得サル保安手段トシテ、且該手段ヲ必要トスル事情ノ繼續中ニ限、之ヲ幽閉スルコトヲ得。

第六條 國家ハ、将校ヲ除クノ外、俘虜ヲ其ノ階級及技能ニ應シ勞務者トシテ使役スルコトヲ得。其ノ勞務ハ、過度ナルヘカラス、又一切作戰動作ニ關係ヲ有スヘカラス。

俘虜ハ、公務所、私人又ハ自己ノ爲ニ勞務スルコトヲ許可セラルルコトアルヘシ。
國家ノ爲ニスル勞務ニ付テハ、同一勞務ニ使役スル内國陸軍軍人ニ適用スル現行定率ニ依リ支払ヲ爲スヘシ。右定率ナキトキハ、其ノ勞務ニ對スル割合ヲ以テ支払フヘシ。

公務所又ハ私人ノ爲ニスル勞務ニ關シテハ、陸軍官憲ト協議ノ上條件ヲ定ムヘシ。

俘虜ノ勞銀ハ、其ノ境遇ノ艱苦ヲ軽減スルノ用ニ供シ、剰餘ハ、解放ノ時給養ノ費用ヲ控除シテ之ヲ俘虜ニ交付スヘシ。

第七條 政府ハ、其ノ權内ニ在ル俘虜ヲ給養スヘキ義務ヲ有ス。

逃走シタル俘虜ニシテ其ノ軍ニ達スル前又ハ之ヲ捕ヘタル軍ノ占領シタル地域ヲ離ルルニ先チ再ヒ捕ヘラレタル者ハ、懲罰ニ付セラルヘシ。

第八條 俘虜ハ、之ヲ其ノ權内ニ屬セシメタル國ノ陸軍現行法律、規則及命令ニ服従スヘキモノトス。

総テ不従順ノ行爲アルトキハ、俘虜ニ對シ必要ナル嚴重手段ヲ施スコトヲ得。

逃走シタル俘虜ニシテ其ノ軍ニ達スル前又ハ之ヲ捕ヘタル軍ノ占領シタル地域ヲ離ルルニ先チ再ヒ捕ヘラレタル者ハ、懲罰ニ付セラルヘシ。

俘虜逃走ヲ遵ケタル後再ヒ俘虜ト爲リタル者ハ、前ノ逃走ニ對シテハ何等ノ罰ヲ受クルコトナシ。

第九條 俘虜其ノ氏名及階級ニ付訊問ヲ受ケタルトキハ、實ヲ以テ答フヘキモノトス。若此ノ規定ニ背クトキハ、同種ノ俘虜ニ与ヘラルヘキ力ヲ減殺セラルルコトアルヘシ。


ちょっと読みにくいと思いますが、要するに戦争当事者とはどのような者なのか、俘虜とはどのような者なのかを記述した部分を抜粋してあります。

まず、兵士とは

部下の責任を負う指揮官が存在すること
遠方から識別可能な固有の徽章を着用していること
公然と兵器を携帯していること
戦争法規を遵守していること


という要件があります。この要件を満たしていない者は正規の兵士として認められず、したがって俘虜となる「権利」も有していないのです。

どうしてこのような規定があるかはテロの脅威にさらされている現代人ならすぐに分るでしょう。占領地において軍服を脱ぎ捨てた兵士が武器を隠し持って、市民に混ざりながら突然占領軍の兵士に発砲されれば防ぎようがないからです。

そのような所謂ゲリラがいると、一般の市民との見分けがつかずそれこそ誤って民間人を殺害してしまう可能性もあります。

ですから正規の兵士は遠くから見ても一目瞭然の軍服を着用していなくてはならないのです。スパイ映画などを観ても分るとおり、スパイは敵に捕まってしまえば見殺しにされてしまうのです。

これは「南京大虐殺」と言われている事件でも重要なポイントになります。南京では中国軍の司令官がいち早く逃亡してしまったため、後には無秩序な中国軍が残りました。多くは逃亡したようですが、一部は軍服を脱いで市民に紛れ込み日本兵を襲ったのです。

そうしたゲリラ(当時の言葉では「便衣兵」)を逮捕して銃殺したのは19名問い記録が残っています。

だいたい、20万人の南京を占領して、20万人を虐殺したのならそのしばらく後に南京の人口が25万人を超えていた事実を説明できなくなります。

南京事件についてのデタラメぶりは改めてこのブログでも指摘していくつもりです。


話を戻しますが、従ってこの物語の主人公は法理論から言っても俘虜虐待や武装していない民間人の殺害には当てはまらないのです。

大東亜戦争後の戦犯裁判ではこのように「冤罪」で処刑された日本軍人もたくさんいたことでしょう。

私自身は現在の日本が東京裁判の諸判決を受諾してサンフランシスコ講和条約を締結した以上、それがどんなに理不尽な判決であっても、これを頭から否定し、「このような裁判は無効だ」と主張しようとは思いません。

それよりも一つの歴史的事実としてしっかりと記憶するべきだと思っています。そしていかに不当な裁判で多くの日本人が刑場の露と消えてしまったのかを現在に生きる日本人は理解しておくべきだと思います。

日本全土の市街地に対する無差別爆撃や、広島と長崎に対する原爆投下も立派な戦争犯罪です。裁判と名付ける以上は公正で法律および諸条約(この場合は当時の国際法)にそって第三者機関によって実施されるべきものであったはずです。

東京裁判の開廷冒頭に裁判の管轄権について弁護側から疑義が提出されましたがウエッブ裁判長の「却下」によってきとんとした議論が行われることなく葬り去られました。

それはそうです。連合国側にしてみれば自信に都合の悪いことは無視し、日本を断罪するのに都合の良い証人や証拠しか採用しないのですから。

特にA級戦犯とされた方々は気の毒です。A級戦犯は「人道に対する罪」「平和に対する罪」によって断罪されたわけですが、このような「罪」はナチスを裁いたニュルンベルグ裁判まで存在していなかったのです。

すなわち法治国家あるいは文明国においてはあってはならない事後法による処罰ということになります。

現在の刑法の大前提は「罪刑法定主義」です。ある行動を起こしたとき、その行動を裁く法律がなければ断罪することはできないという法律の基礎の基礎です。
しかもハーグ陸戦協定のような条約があるとおり、戦争自体は決して「犯罪」ではないのです。こうした意味からも東京裁判は本来であれば「管轄権無き裁判」と言われて当然の茶番劇です。

しかし、それでも日本はサンフランシスコ講和条約を締結し主権を取り戻す道を選びました。大東亜戦争を知る日本人には屈辱的な事ではあったと思いますが、あえて既に始まっていた冷戦下において西側陣営の一員としての道を選んだのです。

しかし、国の為に良かれと行動したA級戦犯、BC級戦犯は被害者でもあるとする国民意識から、1952年(昭和27年)6月、日本弁護士連合会が「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出したほか、戦争受刑者釈放を求めた署名運動もはじまり、国民運動として大きな広がりをみせ4千万人という署名をあつめ、日本の国会での立法措置(「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」等) と、連合国側の承認を経てBC級戦犯の赦免、A級戦犯の減刑による釈放を実現し、さらに公職復帰などの名誉回復も進みました。

中国や韓国に何を言われようと捨て置けばいいのです。日本の存立のために闘った全ての英霊に感謝の気持ちを捧げるために今年も靖国神社へ参拝します。

最後に「抹殺された大東亜戦争 勝岡寛次著〜明成社」より抜粋した文章を引用します。


「東亜の開放」なくして「東亜の安定」はなく。又「東亜の安定」なくして「自存自衛」はなかった。

してみれば「自存自衛」とは帰するところ「東亜の開放」を意味していたのである。このことは何も、大東亜戦争になって初めて日本人が気づいた事実ではない。既に明治維新の当初から、慧眼の士には見えていたことである。

それは欧米の植民地化を免れたアジア唯一の国日本に課せられた、いづれ避けがたい宿命であった。

大東亜戦争における「東亜解放」の理念は、その集約的表現に他ならなかった。
それは日本の近代が幾多犠牲を払いつつも果たさねばならなかった、悲しくも誇り高き世界史的宿命であった。

この悲劇の意味を再思し三思し、正しく後世に語り伝えることこそ、後の世に生まれた者の使命でなくして何であろう。

中略

大東亜戦争が、「アジア人の戦争を日本が代表して敢行したもの」(ナチール元インドネシア首相)である限り、始めに西欧列強五百年の侵略・植民地支配でありき、この視点を外すことはどうしてもできないのである。
posted by 小龍景光 at 22:35| 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは

学校では現代史(でいいのかしら)はあまり教えて貰えませんでした。
明治維新後の授業は、ただ教科書を追うのみ。
言葉の羅列を覚えるだけで精一杯。

もっと1年間の時間配分をして教えて欲しかったと思います。

「今を考られる」授業でないと歴史を学ぶ意味ないですよね〜。
Posted by 鈴蘭 at 2006年07月16日 01:08
鈴蘭さん

日本史は中学高校の6年間を通してきちんと教えるべきでしょうね。6年というタイムスパンで考えれば相当面白い授業が可能になると思います。

おっしゃる通り、歴史に学ぶとは単に年号を記憶することではないですよね〜。
Posted by 小龍景光 at 2006年07月17日 20:11
昭和天皇の話されたお言葉を書かれた、元宮内庁長官のメモが公開されました。
靖国に祀られた方が、可哀そうです。しかし、私の気持ちは変わりません。みんな、日本の国土と国民を守るために戦ったのです。

巣鴨プリズンの跡地もサンシャインができる前、良く通りました。戦勝国が一方的に裁いた裁判など、今でも納得できるものではありません。

Posted by きりや at 2006年07月22日 11:35
きりやさん

私の個人的な見解では、あのメモは先帝陛下のご発言ではないような気がしています。
あちこちで言われているように、徳川氏の発言と考えた方がつじつまが合うと思います。

それよりも何よりも、おっしゃる通り我々日本国民が戦犯だからどうこうという理由で靖国神社のへの参拝をやめるなどとんでもないことです。
国内法上は「戦犯」なおいませんからね。山崎拓氏や菅直人、小沢一郎、加藤紘一、古賀誠といった下品な政治家にはさっさと引退していただきたいものです。
Posted by 小龍景光 at 2006年07月23日 21:10
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