2006年06月26日

国語のこと

P1030231-2.jpg
昨年、友人のところに誕生した女の子です!とっても可愛いんです晴れ


■【新国語断想】塩原経央 平易化の大罪 漢字が読めない日本人 産経新聞2006年6月26日


漢字が読めない、書けないという青年が増えている。ある大学教授が嘆くことに、小学3年程度の漢字を読み書きできない学生が珍しくないという。それで、どうすれば彼らが普通の国語力を身につけられるのか、悩み事相談を持ちかけられたのである。

漢字が使えない青年は何もその教授の大学に限らない。満足に文書の一つも書けない新入社員に小学生並みの国語教育を施している企業もあるという。国語の惨状は極めて深刻な安全保障の問題なのだが、それが頭の上のミサイルのような明示された脅威ではないため、多くの人が非常事態に気づかないでいる。



人は自分の考えを表明するときに「言葉」を使います。しかし、言語というのは意思の伝達ばかりではなく、当然ながら物事に思索を巡らすときも言語によって考えをまとめていきます。従って母国語の語彙を豊富にしておくことで、より緻密にかつ繊細な思考を巡らすこともできるのではないでしょうか?

国家の品格の藤原先生は国語について以下のように述べておられます。

ものごとを考えるとき、独り言として口に出すか出さないかはともかく、頭の中では誰でも言語を用いて考えを整理している。例えば好きな人を思うとき、「好感を抱く」「ときめく」「見初める」「ほのかに想う」「陰ながら慕う」「想いを寄せる」「好き」「惚れる」「一目惚れ」「べた惚れ」「愛する」「恋する」「片想い」「横恋慕」「相思相愛」「恋い焦がれる」「身を焦がす」「恋煩い」「初恋」老いらくの恋」「うたかたの恋」など様々な語彙で指向や情緒をいったん整理し、そこから再び思考や情緒を進めている。これらのうち「好き」という語彙しか持ち合わせがないとしたら、情緒自身がよほどひだのない直線的なものになるだろう。

人間はその語彙を大きく超えて考えたり感じたりすることはない、と言っても過言ではない。母国語の語彙は思考でもあり情緒なのである。
【祖国とは日本語 新潮文庫】


来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ  藤原定家

みなさんご存じの百人一首にも採られている名歌中の名歌と言われている和歌です。この歌に接した人が「身を焦がすような恋」とか「恋い焦がれる」といった言葉を知らなければ、なんの感動も与えない歌になって今します。

夏の夕凪による暑さ、塩を焼く炎の暑さに掛けて、未だ帰ってこない人をじりじりと身を焦がすような想いで待っている心を歌った名歌を鑑賞するためには、どうしても豊富な語彙が必要です。もちろんそれだけではなく自分が失恋した経験や、恋人が来るのを今か今かと待ち望んでいたような経験が輻輳して作者の心情に共感できるのです。

この国に残された素晴らしい古典をいつの時代までも感動することができるように教育することは子供達に対する責任だし、先達に対する責任でもあると思います。

それにも関わらず現在の教育現場で行われていることは、小学校から英語を必修にするなどという方針の下に肝心要の日本語教育が疎かにされているという現実です。

日本人にとっての日本語とは「日本文明」であり、「日本」そのものでもあります。教育基本法の改正が具体的なタイムテーブルに乗ってきた今こそ、日本人らしさを取り戻すための方策をおることが求められています。

上記の記事はネットソースがないため、以下にテキスト起しをしておきますのでご一読ください。
かつてケルト語はヨーロッパ中央部の広い範囲で用いられていた言語だが、歴史の興亡とともに強勢な言語に同化させられ、あるいは辺境の地に追いやられ、今ではアイルランドなどで細々と生き延びるのみだ。歴史に学ぶとすれば、このままでは伝統的な純粋日本語は遠からず離島や山間地の集落などにひっそりと息づくという事態が招来しないとも限らない。いや、インターネット時代の今日では、そんな保存のされ方さえも怪しいかしれない。

国語が滅びれば国語によって書かれた文献、つまり先人の知恵の集積が後代に継承されなくなるわけだから、その文化も時間の砂に埋もれて忘れ去られる。国語も滅び、文化も滅ぶとは、国家も滅び、民族も滅ぶということだ。これをして安全保障の問題といわずして何といおう。

国語力衰微の元凶は知識の大衆化、情報の民主化というお題目の下、漢字制限など国語平易化を進めた戦後国語政策にある。平易化という言葉にだまされてはいけない。実態は表記の曖昧(あいまい)化、語意識の粗雑化に過ぎなかった。

例えば、看護婦の看は〈みる〉だが、この訓は常用漢字では認められていない。だから、看護婦はカンゴフという音声集合によって記憶することになる。語を意味でなく音声で覚えると、看病、看視、看守、看破のような語の看とのつながりが見えなくなり、知識が断片化してしまうのである。また、「見る」と「看る」の微妙な相違を概念分けする分析力を失い、思考力も大雑把になる。

漢字制限は漢字語彙(ごい)の制限だから、その分仮名が増え、読みにくく理解しにくい文にする。漢字を知らないために先人の文章が読めなくなるだけでなく、読みにくさが読書離れを助長し、かえって知識や情報から大衆を疎外する結果をもたらしたのだ。

一方、新しい概念を漢字で表す知恵を失ったために、片仮名語が増大した。現に「てにをは」以外はみな英語語彙というような話し方をする官僚や政治家、学者などが増えた。片仮名語は読むことはできても原語を知らない大衆には理解するのが難しい。意思疎通の道具としても国語を劣化させたのである。

かくて、何のことはない、国語の平易化は知識や情報の知識層による壟断(ろうだん)を招いたのだ。

そればかりではない。坂道を転がるように国語が混成語(植民地語)化した。日本及び日本人にとって許すべからざる戦後国語政策の罪状である。堂々たる国語の再生のために残された時間はあまりない。

早く漢字制限をやめなければ、日本人はそれこそ先祖の戒名も読めないようなバチ当たりだらけに成り果ててしまうであろう。
posted by 小龍景光 at 19:58| ☔| Comment(9) | TrackBack(2) | 文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
遅くにお邪魔いたします。

心が揺さぶられるような感動の経験がないと言葉は形骸化してしまうと思うのです。

夕方陽が沈むまでグラウンドでキャッチボールをした思い出

お釜のおこげの香り

そんな些細なことでも感動できる情緒は、親がまずこどもといっしょに共感してあげることだと思います。

物を与えるより心に残るような気持ちの奮えを与えてあげたい・・と思っています。

こんなことを書きながら、自分の語彙の少なさが恥ずかしい^^;
Posted by 鈴蘭 at 2006年06月26日 23:59
国語の大切さはメディも同感です。言葉の意味を知らずして、理解は深めることが出来ませんからね。

それとは別に、最近の人達が文字を書くことが出来ないというのは、パソコンの弊害もあるように思えます。「読めるけど書けない」こと、メディも多くなってきました^^;
Posted by メディ at 2006年06月27日 02:09
こんばんは、景光さん。
暑い一日でしたね。

以前の国語の授業では漢字一つにしても音と訓をしっかり教えていましたが、意味としての訓をおざなりにしているから音だけで漢字を当てはめてしまうようです。

しかし漢検の会場へ行くと若い人も大勢いて「日本の将来もマンザラじゃないかも」とも思えるのですよ。
Posted by minmin at 2006年06月27日 22:15
すみません。ダブってしまいました。↑
最初のは変換ミスがありますので(漢字力の低下!)削除してくださいまし。(大汗)
Posted by minmin at 2006年06月27日 22:17
鈴蘭さん

>親がまずこどもといっしょに共感してあげることだと思います。

その通りですね。テレビゲームばかりではなく、親子でいろいろな「遊び」をしてあげることってとても大切だと思います。
感動を親子で共有していればおかしな事件も減るような気がします。
Posted by 小龍景光 at 2006年06月28日 00:11
メディさん

>読めるけど書けない」こと、メディも多くなってきました^^;

う・・・、耳が痛いな〜
この前、鬱陶しいって書こうとして「欝」が書けなかった・・・^^;
せめて暑中見舞いや年賀状くらいは手書きでって思っているんだけどね〜
Posted by 小龍景光 at 2006年06月28日 00:14
minminさん

>しかし漢検の会場へ行くと若い人も大勢いて「日本の将来もマンザラじゃないかも」とも思えるのですよ。

それはぼくも思います。姪っ子の学校でも漢検と英検は受験させられているようです。
ただ、心配なのは古典を読む時間が少ないことです。古典に限らず読書量を増やさないと「生きた言葉」が伝わらないような気がするんですが・・・
Posted by 小龍景光 at 2006年06月28日 00:23
初めまして。私は某大学(伝統校)で講師をしておりますが、漢字を読めない大学生が多く驚いております。何で大学に入れたのか不思議な学生もいます。留学生にも接しますが、彼等の方が漢字が読めるという場合もあります。
漢字の読めない子は例外なく読書をしておりません。新聞すら読んでおりません。それを恥とも思っておりません。私はそういう学生には小学校の漢字ドリルを勧めております。わかるところまで戻らないといけませんから。それにしても、我が国の未来を憂慮する日々です。
Posted by チョンガー公爵 at 2006年06月29日 13:36
チョンガー公爵 様

コメントありがとうございます。
国語力の低下には絶対に歯止めをかけなくてはいけないですね。
教育現場でご活躍との由、今後ともご尽力に期待しております。
Posted by 小龍景光 at 2006年06月29日 14:16
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック

強勢
Excerpt: 強勢強勢(きょうせい)は音節上におかれる音の強さである。強勢を持つ音節は、他の音節よりも呼気エネルギーが大きい。IPA では第一強勢が , 第二強勢が で表され、その音節の前におかれる。イタリア語やス..
Weblog: 英語学習教習所
Tracked: 2006-07-01 13:47

揺るぎない帰属意識の確立に必要なもの
Excerpt: なんでも外国のものをありがたがるのは日本人の良いところであり、悪いところでもある。 古くから日本人は悪くいえば”節操なく”諸外国の文化を取り入れてきた。 しかし、それで終わらず文化を咀嚼しそこから誰も..
Weblog: ヨコ目、タテ目、あるいはナナメ目で世の中を見るブログ
Tracked: 2006-07-25 00:38
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。